「方向音痴」は差別用語か

私たちがこの研究を行っているときに、同僚や上司からは興味を持たれると同時に、「この研究をしてもだいじょうぶか」と心配されることもありました。というのは、だれかのことを「音痴」と言うのが差別につながらないかという危惧があったのです。

心理学や精神医学の分野でも「痴呆、痴愚」という表現は不適切な用語であるとして近年では使われなくなりました。音痴という言葉も、宴会で歌を歌うようにと勧められて、「いやぁ、私は音痴ですから、歌はご遠慮します」と断るときのように、自分が使う分にはいいかもしれませんが、自分が歌が下手だと気にしている人に対して「あなたはひどい音痴なんですね」のように言ったら、その人を傷付けることになりかねません。運動音痴(運痴)も同じでしょう。方向音痴にもそうした側面があるのではないかと心配する人がいたのです。

第1章に書いたように、私たちが自分自身を方向音痴と判断する基準と、誰か他の人について方向音痴だと判断する基準には若干の食い違いがあるようです。また、道に迷って困っているときに「あなたはすごい方向音痴なんですね」といわれて憤然とする人は確かにいるようです。また、その逆に、「私の方がひどい方向音痴ですよ」と迷った経験を嬉々としてと語る人もいるのです。

もちろん、私たちは、「方向音痴」を一つのキーワードとして選んで研究を進めてきましたので、「方向音痴」という言葉自体が差別につながるものとは考えていません。また、「方向音痴」は基本的には技術の問題であると考えていますので、個人の性格や特徴と結び付ける事自体が適切でないと考えています。そして、方向音痴は、第5章に書いた音痴ファミリーの中でももっとも害のないもので、多くはちょっとした技術を学ぶことで、街の中の移動はずっと楽になるもの、また、技術の進歩や街の案内の充実によって、特に学習しなくてもよくなってきたものの一つだと考えています。また、逆説的に言えば、生理的な方向感覚や体で記憶した認知地図を利用して独力で移動できるということが社会的生存のために重要な技術でなくなったからこそ、人々が方向音痴の話題を喜んで語るようになったのでしょう。

私たちが本書を書いた理由の一つは、自分に「方向音痴だ」というラベルを貼ってしまっている人に向けて、方向音痴というのは遺伝でもないし不治の病でもないのだよ、多様な側面があるんだよ、ということを伝えたかったというところにあります。したがって、人が移動するという能力において決定的に劣っているということが方向音痴なのではないのです。

しかしながら、さまざまな理由でどうしても道に迷ってしまうことが避けられないという人もいますし、それを気にしている人がいることも確かです。やはり、場面によっては注意して使った方がよい言葉ということはできるでしょう。

もちろん、私たちも、茶飲み話としての方向音痴までも否定するつもりはありません。(他人の)ちょっとした失敗の話、困った話を聞くのは楽しいものですし、座も盛り上がりますからね。

男性と女性の空間能力の性差

私たちが本書を通じて、「方向音痴」と「空間能力」を区別して記述していることには気づかれたことと思います。私たちは、方向音痴は空間能力に源は発しているけれども、またそれとは別の問題解決のやり方、対人関係のあり方などの社会的なスキルによって形成されるものであると考えています。

一方で、空間能力そのものについては、男性と女性ではかなり生まれながらにして異なっているというデータが得られつつあります。第2章では、脳研究に関して若干触れましたが、性ホルモンの研究でも性差の研究が盛んです。

最近翻訳がなされたドリーン・キムラの本「性と認知」からその一部を紹介しましょう。

げっ歯類のネズミなどを対象とした研究によれば、発達のごく初期の段階でどのような性ホルモンにさらされたかによって空間能力のあり方が大きく変わるということが示されています。ネズミを対象とした迷路実験を行うと、オスはその実験室の部屋の形を手がかりにして迷路のルートを学習するのです。したがって、迷路の周囲にカーテンをめぐらせて、部屋の形や隅が見えないようにすると、オスのネズミの学習成績は低下します。それに対してメスのネズミは、部屋のなかにある絵や机などの目印の位置を手がかりに学習するようです。部屋の形をわからなくしても絵や机が見えている限りメスの成績は低下しません。このとき、発生直後に去勢され、男性ホルモン(アンドロゲン)が影響しないようにされたオスネズミは、メスと同じように目印を使うようになります。また、メスには出生直後に雄性化作用を持つエストロゲンを注射しました。すると、そのメスネズミは雄と同じような形状を手がかりとするようになったのです。

人間を対象とした実験はできませんので、この関係を実験的に検証する方法はないのですが、ある種のホルモン異常症例から参考となる知見は得ることができます。たとえば、先天性副腎過形成症の患者は、副腎から過度のアンドロゲンが分泌され、その結果、女性の性器が男性化します。普通は生後1年以内に対処がなされ、アンドロゲン濃度が異常に高いのは出生直後だけとなります。したがって、そうした女性が大きくなった後でなんらかの認知能力の違いがあるとすれば、その出生直後のアンドロゲン濃度の影響ということになります。調査によれば、この先天性副腎過形成症の女児は、姉妹や近くの女性と比較しても空間能力が高いということがわかっています。

また正常な青年男女についても、空間能力と男性ホルモンの一種であるテストステロンの濃度の間には一定の関係があることが知られています。男性の場合は、その濃度が正常レベルのやや低めである時に空間能力テストや数学的推論テストの成績がもっとも高いのです。逆に女性の場合は、テストステロン濃度が高いほどその成績がよくなります。テストステロンは、一日の内あるいは季節でも濃度が変化しますが、その変化に対応して空間能力も高低するということがわかっています。これらの認知パターンには、性ホルモンが極めて強い影響を与えているのです。

もちろん、性ホルモンと空間能力が強く結び付いているということ、女性の方が空間能力テストで低い得点をとるという傾向を持つということがそのまま、女性が方向音痴だということにはなりません。これらの空間テストで調べられている能力は、第2章でも述べたようにきわめて限られた範囲での空間能力を調べるものです。私たちが街を移動するときには、方向感覚、空間近く、記憶、体力その他、さまざまな能力を総合的に使っているからです。

何も見えない世界での方向感覚

4章では、雪山での遭難の話にふれました。吹雪の中で、真っ直ぐに歩いているつもりが、いつのまにか90 度方向がずれて谷底に進んでしまったというものです。90度も曲がるはずがないだろうと不思議に感じる方もいるでしょうが、全く何も見えない霧の中では、人間はそもそも真っ直ぐ歩くことすらできないといわれています。歩く方向が少しづつずれて、同じ場所をぐるぐる回ってしまうのです。これをリングワンデルング(環状彷徨:ringwanderung)といい、吹雪や霧なので視界が失われる状況(ホワイトアウト)になると起ることがあるそうです。その原因の一つとして考えられているのは、人の右足と左足の蹴り出しの強さが違うために、そもそも人は利き足の反対方向に曲がる傾向があるということです。外が見えているときは自然に進路を修正して真っ直ぐ歩けますが、視覚が利用できないときにはそれは困難です。実際のところ、本当にまっすぐ歩いていたつもりのか、あちこち歩いた結果同じところに戻ってしまったのかは、明らかではありません。しかし、このように全く何も見えないときにコンパスなしで歩くというのはとても危険なことなのです。